犬も歩けば

犬も歩けばなんとやら 日々の暮らしで出会う 些細な出来事や思いについて

捨て派

「捨て派」である。

昔からというわけではなく、結構いい歳になってからなのだけれど、そうなったきっかけは自分の片づけ下手を克服したいと思ったから。

 

面白いもので、同じ親から生まれたすぐ上の姉は、誰から教えられたわけでもないのに、子ども時代から整理整頓が得意で、机の上は常に片づいていた。

平屋の長屋住まいで独立した子ども部屋などなかったから、きちんとした姉の机と、ありとあらゆるものが山積した私の机はどうしても比較され、私はいつも親から片づけるように言われ続けていた。

そんな頃は片づけに対して面倒くさいという気持ちしかなく、それに一応自分でどこに何があるのか把握は出来ていた。貧乏だったし今ほど豊富にものがない時代(昭和40年代)だったから、ものがごちゃごちゃに置かれていても知れていた・・・と思う。

 

そんな私に片づけろと言う親、主に母親は整理整頓が得意だったか、と言えば、私よりは片づけていたかもしれないけれど、見た目にはすっきりとはしていなかった記憶である。

今のように収納用品が多種多彩にあるわけではないので単純に比較は出来ないものの、小津安二郎の「東京物語」に出てくるような、すっきりとした昭和の暮らし、というのとも違っていた。

それでもどこに何があるか、ということはちきんと把握出来ていたのだから、整頓はともかく整理は出来ていたということになるだろう。

 

結婚するまで実家にいて、私の片づけ能力は向上しないままだったが、夫の両親と同居ということもあって、あまりだらしない嫁と思われたくないとか、子どもには自分のようになってほしくないという気持ちもあって、子育てバタバタ期間が終わってから少しずつ整理収納についての本を読むようになっていった。

いろいろな人の本を読み漁ったが、大別すると不要なものは処分してすっきりさせる派、すなわち「捨て派」と、ものはたくさんあるけれどどれも好きでちゃんと見た目もよく管理出来る「捨てなくてOK派」に分かれていて、どちらの本も読んだけれど読んで腑に落ちたのは私の場合「捨て派」だった。

 

ただ、読んで得た知識を実践することはなかなか出来ずにいた。読むは易し行うは難し、というところだろうか。

 

当時我が家は6人家族で、そのうち結婚前の私のように、出したものをそのまま放置し、その上にどんどん積み重ねていく、という家族が数人。

それを姑が見苦しくない程度に移動させるのだけれど、そうすることで片づけない家族は片づけてもらうのが当たり前、のようになってしまった。

 

片づけ能力が身につかないままの家族は、夫、息子、そして舅の男3人。

その原因は、やってあげることが愛、と大きな勘違いをしてきた姑にある。

 

姑にも非はあるのだが、そんなふうに姑に手を出されるのが嫌で、彼女より先にものを片づけてしまった私もほぼ同罪ではある。

 

今は当時の半分、3人家族となって、ものの散らかり方もかなり収まってきた。

なにしろ散らかし屋だった舅が今年に入って亡くなり、息子もその後彼女と暮らし始めたため(結婚はしていない)。

 

ただ、3人家族には少々広い家には、使っていない、または使わないものが見えるところにも、そして見えないところにもうんざりするほど残っている。

特にもう絶対用のない舅の服など、彼の死後、認知症の姑がデイサービスで不在のときを狙って、かなりの量を処分した。

にも関わらず、まだまだ出てくる。

それほど数を持っていなかった舅の服でさえこれだから、姑のときはもっと大変だろうと考えるだけでぞっとする。

 

なので、自分の死後は家族に出来るだけ負担をかけないように、まずは自分のものから着ない服や使わないものなどさっさと処分するようにしたら、なんだか気分がとてもすっきり!

多分ものを手放すときに苦しい思いをするひとは「捨て派」にはなれないのだろう。

そういうひとに無理にものを捨てなさい、とは申し上げないが、生きていく上で本当に必要なものは、自分で思っているよりうんと少ないのではないだろうか。

 

もちろん私にだって、必要ではないけれど、簡単に捨てられないものはある。

それでも私が死んだら家族や他人にとってはただの不要品にすぎない。

死ぬときに持っていけるものなど何もない。

残りの人生を身軽に生きていくためにも、私はこれからも「捨て派」を貫く所存である。

 

蛇足だが、散らかし屋の息子と違って、娘は誰に似たのか整理収納が大得意で、今年引っ越した新居もモデルルームの如く、きれいに片づいている。

今どきの家なので収納スペースも充分あるにはあるのだけれど、ようやく子どもが生まれたばかり。これからどんどんものが増えていくにつれ、家のなかがどんなふうに変化していくのか、興味津々で見守りたい。